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不埒な夢。

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『遅れてきたあなた』あとがき

サプライズのつもりで公開した『遅れてきたあなた』、お楽しみいただけましたでしょうか。
まずは公開当時のあとがきをば。


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新年あけましておめでとうございます。
クリスマスのオマケプレゼントにするつもりの小説が、いつの間にか年始一発目のご挨拶小説に(^皿^;)
いやね、普通にご挨拶するだけじゃ面白くないと思ったんですよ。
せっかく小説書いてるんだから、それっぽいのがいいじゃんとか思っていたわけですが……ご挨拶が遅れちゃったよもぅ;;


さて、今回の小説ですが、お分かりの通り『side K』の番外編を書かせていただきました。
先日行いましたクリスマス創作アンケートで、得票数は少ないものの熱烈な支持をいくつもいただいたのがこの『side K』だったんですね。

焦点を当てたのは、最終話から数か月経って、ふたりが復縁の最初の一歩を踏み出すところ。
絢耶と華里奈のその後は『右手にほくろのある女』で間接的にほのめかしたのですが、今回のお話はその間にあたる、二人が本格的に距離を縮め始めた第一歩を書かせていただきました。
年始一発目からこんな『泣き』の話を書いちゃいまして、本館で公開するのがちょっと恥ずかしかったので、こっちでの限定公開ということで失礼いたしております。
この話を書くのは久しぶりなのですが……なんにせよ、お楽しみいただけましたら幸いです。


旧年中は大変お世話になりまして、ありがとうございました。
今年も灰谷ソウヤと『不埒な夢。』を、どうぞよろしくお願いいたします。



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…ということで、『遅れてきたあなた』はしばらくの間、単発の番外編として『白昼夢。』にて公開させていただきました。
お気づきだったかもしれませんが、この話、灰谷の恋愛ものにしては珍しく、えっちなシーンは全部カットしてます。
理由は雰囲気重視とかそういうのではなく、単に特設のブログが『小説・文学』ジャンルに登録しててたために、えっちなのが書けなかっただけだったり(笑)

この加筆修正版は、初版の伝わりにくくなっていた部分を手直しし、書洩らしていたシーンを追加したものです。
華里奈の意地っ張りさ加減や、優しいのに不器用な絢耶の、本当はあったかいところなど、もっとわかりやすくなるように直したつもりです。
結果として、最初のものより二人がラブい感じになったような気がします。
私はこっちの方が大分気にいっているのですが、読んでくださった方もそうだとありがたいです。


クリスマス創作もですが、限定公開した小説はその後、忘れたころにぽろっと本館に格納、なんてことにしようかな、なんて考えていたりしました。
この加筆修正版も、最初との違いを分かってくださる方がいたら嬉しいな、なんて感じでして。

ケータイアクセスを考慮し、前後編に分けてみたのですがどうでしょう。
もしもまた動作がおかしいようでしたら、お知らせいただけると助かります。
(最近FC2さんはメンテナンスが多いので、そっちが原因ってことも……んにゃぁあんもおぉ;;)

大晦日~遅れてきたあなた 2~



「………降ってきたぞ」


目を丸くしている私の耳に、聞きなれた声が響いてきた。
持ち主は窓際。
結露に曇ったガラスを指で拭い、外の様子に見入っている。


「久々じゃねっか、ここいらで雪なんてよ」

「………」


そこは昔、彼がここにいた頃の指定席だった。
片手に持っているのは大概がアルコール類で、絵を描くことに疲れたとき、彼はよくそこで、外の様子を眺めていた。
絵描きの目には、世界はどんな風に映るのだろう。
別れてしまった人のことを棘のように感じながら、ガラスに片手を添えて外を見ている絢耶の横顔を、当時の私は綺麗だと思っていた。

少し傷んでいるみたいに、毛先のまとまらない黒い髪。
彼の表情はその奥に隠れているから、私には相変わらず、彼のことがわからない。
何をしに来たのかも。
どうしてここにいるのかも。


「気ィつけろ? 風呂場で眠っちまったんじゃ、カゼひくぞ」

「な……なんで…」

「んん?」


声音がやたらに柔らかいものだから、私はひどく緊張して、まごついた。
何をしに来たのか聞きたかったのに、うまくできなかった。


「…こうしてみっとよ、結構広いのな、ここ
なんか……覚えてるより広い気がするわ」

「………」

「オマエひとりじゃ…持て余しただろ?」


気遣わしげな言語と音に、頭にかっと血が上った。
そんな台詞を今更使う絢耶に、腹が立った。
優しい言葉のひとつでもかければ、私が自分の思うとおりになるとでも考えたのか。
それとも、今頃になってそんなことに気付くほど、彼は鈍くて頭の弱い男だったのか。


「………何しに来たの?」

「ああ、絵ようやく描けたんでな
怒らしちまった詫びってんでもねっけど、見せようと思って」

「そう、おめでとう
なら私なんかより、その絵を待ってる人のところに行ってあげて」

「……は?」


ひとつ息を吐いた後で、勢いをつけて話す。
目一杯、怒りを心に燃やすよう努めながら。
私の立腹は予想外だったらしく、そこで初めて絢耶が振り向いた。
黒い髪の奥で、同色の瞳は驚いたように、いつもより少し見開いている。


「ここまで運んでくれたのは助かったわ、どうもありがとう
でも私言ったわよね、もうあんたのことは追いかけない、って」

「……」

「あんたが何を描こうと、私には関係ない
『忘れ物』はあっちのアトリエに置いてあるから、必要なら持って行って
もしここに戻る気があるなら早めに教えて
引っ越し先、探さないといけないから」

「…何言ってる?
おま、俺が何描いてたと思って…」

「知ってると思う?
聞いたって、まともに返事なんてくれなかったじゃない」

「………」


怪訝な様子で、絢耶は私を見つめながら首をかしげる。
私の言っていることが、理解できていないみたいに。
それに余計に、腹が立った。


「とにかく、私のことはもうかまわないで
あんたのとこに押し掛けたりしないし、勘違いもしない
……ちゃんと、あんたのこと忘れるから」

「……マジで言ってるのか?」

「………」

「ハッ、変わらねぇな
心にもねぇこと、簡単に口に出してよ」

「……」


帰ってきた言葉の口調の冷たさに、左目尻から涙が落ちた。
悔しかった。
あんまりにも、彼の言うことがその通りだから。
どんなに足掻いても私は醜いままで、それを絢耶に見透かされて。
私はいつまで経っても、彼に振り回されてばかりで。
望んでいるものは何一つ、手に入れることができなくて。

膨らむ感情に、涙がどんどんあふれてくる。
口元を抑えて堪えると、嗚咽のかわりに身体が震えてくる。
見かねた絢耶は傍にやってきて、軽くベッドに腰掛けた。
こちらに伸ばしてくる両腕を拒むけれど、うまくいかなくて。
結局、私の頬は彼の手に拭われた。


「アトリエはもう見た
大事にしてくれてたんだろ?
俺の……」

「……っ! もうおしまいよ!
今更、今更そんなこと言ったって!」


流れる涙を払う指の動きは、私への許しでもあり、謝罪でもあるようだった。
だから私は思いっきり、心の中を叫んだ。
無神経な優しさをひっかいて、傷つけてやりたかった。


「わかってるわよ!
部屋が広すぎるのも、あんたのことも!
私のこと、なんだと思ってるの!?
あんな手紙もらって、どうしたらよかったのよ!?
あんな風にいなくなられたら、何も言えないじゃない!」

「……」

「こんな…こんな広い部屋残されて、どんな気持ちでいたかわかってる!?
私はっ、わたしはあんたに、あんたに捨てられたんだって、思……っ」


聞いた絢耶が少しでも、胸に痛みを感じたらいい。
そう思っていたはずなのに、言いながら嗚咽が止まらなくなっていた。
泣き顔を見せたくないのに、両腕を掴まれているせいで隠せない。
絢耶からは、絵に使う油のいくつか混じった、独特の匂いがする。
懐かしくて切ない香り。
ふいに、掴まれていた腕が解かれた。
両手で顔を覆うと、思いのほか力が抜けてしまい、またベッドにくずおれてしまった。
背を丸めて泣く私を、上から包むように絢耶が抱きしめる。



一番つらいことは、五年前からずっと変わっていなかった。
それは自分が、絢耶にとって『要らない』存在だったのだということ。
それを認めたくなくて、私は必死になっていた。
どうにかして、『要らない』何かであることから抜け出したかった。
だから、起こらないとわかっている未来を希望にした。
ありえない『次回』なんてものを想像して、躍起になった。

アトリエいっぱいに、あの日に残された絵を飾ったのも同じ理由だ。
あんなに綺麗に私を描いてくれた人にとって、自分がもう不要な存在だなんて、思いたくなかった。
私がほしいと思ったものを、彼がもう捨ててしまったのだということが、かなしすぎて直視できなかった。
だから変わりたかった。
絢耶に切り捨てられた人間のまま、捨て置かれたままの私で、いたくなかった。
生まれ変わりたいと思っているのに、ずっと絢耶を追いかけていた。
この五年、ずっと私は、絢耶に囚われたままだった。


「……捨てられるわけ、ねぇだろ…」


背後から肩に押し付けられている頬を通して、ひどく都合のいい言葉が聞こえた。
絞り出すような絢耶の声を、初めて聞いた。
信じられなくて固まっていると、片手に何かを手渡された。
ズボンのポケットに入れられていたからか、それは人肌と同じ温みを持っていて。


「……なんで?」


右手に握らされたのは、鍵。
何故彼が持っているのだろう。
この部屋の鍵は、あの日私にくれたはずなのに。
私はちゃんと、それを持っているのに。

わけがわからずに、ベッドに横になったまま振り返る。


「スペア……ずっと持ってた
訪ねる勇気なんて、ねぇのによ」


仰向けの姿勢で見上げる私から、今度は絢耶が、きまり悪そうに目を逸らした。
俯いて前髪に表情を隠す、彼の姿はいつになく気弱で。


「情けねぇ話だ
手放せなかった鍵ひとつ、後生大事に持ってたんだからな
はは……可笑しいだろ、さんざカッコつけといてよ」

「………」

「大層な事言ってるくせによ、ビビってたんだ
オマエと向き合うことも……完全に、切れることも」


思わず絢耶の手を握ったとき、自分の中にあった気持ちには、どんな名前もつけらないような気がした。
甘ったるい呼称も、綺麗な印象の何かも、みんな違うように思えた。


「捨てられやしねぇよ…できるかよ
あの時捨てられたら、こんな……」


そこから先を、絢耶が口にすることはなかった。
代わりに私の手に、熱い滴が一粒落ちてきた。
彼は私から顔を背け、何かを必死に堪えているような様子で。
嘘やごまかしや、人の心を引き付ける芝居の類だなんて、思う余地はどこにもなくて。


「…ずっと思ってた
あんたは私のこと、嫌ってたって」


繋いだ手の、絢耶の力が強くなる。
言いたいことはまだあって、だから私は、片方の手を絢耶の頬に移した。
流れ落ちたものの痕に触れたせいで、手のひらが少し湿る。
絢耶の手もすぐに追いかけてきた。
爪の中にも絵の具の入った、画家の手が包む私のそれは、五年前よりもくすんで、かさついていて。


「だから、嫌になったんだって思った
私のこと嫌ってたくせに、妙に親密になったから
そういうことの全部が、煩わしくなったんだ、って
それで……全部捨てて、行ってしまったんだって」


言いながら、また涙が湧いてくる。
心の底に閉じ込めたものを、こうして口にするのは初めてだ。
そんなことは許されないと思っていたし、そもそも認めることだってできなかった。
自分がだめになってしまいそうで、いつだって怖かった。


「…でも違うんでしょう?」


胸の奥の震えを感じながら、絢耶に尋ねた。
自信がないながらに、頭の中で何度も反芻する。
鍵をかけて仕舞っておくことを、人は『捨てる』とは呼ばない。
鍵のかけられる場所に仕舞っておくようなものを、人は捨てないから。
そんな風に扱うのは、何か手放せない、大切にとっておきたいものだけのはずだ。
絢耶にとっての自分がそうだなんて、あまりにおこがましいけれど。


「覚えてるか、手紙の中身」


目線を合わせたまま、小さく頷く。
頬に添えた手のひらが滑るように移動させられ、真ん中に唇が押し付けられた。
柔らかな感触を寄越してくる絢耶は、表情も仕種もひどく真摯だった。
私の中で黒く膨らむ、不安や心細さたちを、ゆっくりと拭うように。


「離れても…忘れられなかった
だからもう一度、ちゃんと描きたかったんだ
今のオマエを、よ」


途切れ途切れの台詞に思ったのは、もしかしたら絢耶は、私が思うほどに器用な男ではないのかもしれないということ。
伝えらえた言葉たちの意味するところに、私の胸はとても熱くなった。
怒りや悲しさが少しずつ翻っていく感覚は、高揚に似ていて。
酒に酔った時のような気分にも近くて、少し息苦しい。
鎮めるように深呼吸をすると、絢耶の身体がそっとかぶさってくる。
どきどきしながら、近づいてくる顔を見つめていた。


「頑張ったんだから、私」

「…?」

「あんたにね……また会えてもいいように
また…綺麗に描いてもらえるように」

「……だな」


絢耶を不器用だと言うなら、私はそれに、輪をかけて不器用なはずで。
大切なことを上手く言えない私の言葉を、けれど絢耶はちゃんと、間違えることなく受け取ってくれたようだった。
ずっとずっと、待ち続けていた温度がようやく触れてくる。
また新しい涙が生まれて、目尻を静かに流れていった。




泣きたい気持ちはそれでおさまるかと思っていたのに、逆にひどくなった。
絢耶のせいだ。
あんな、過ぎるほどに優しくなんかするから。
涙はせきを切ったように止まらなくなって、私はずっと泣いていた。
二人分の肌と温かさと、会わずにいた時間を混ぜあい、分け合いながら。
押し込めていたものを全部洗い流してしまいそうなそれを、絢耶は飽きることなく、何度も拭ってくれた。
目覚めた時の瞼の重さからして、きっとひどい顔をしていると思う。
この顔を笑わないでほしいけど、彼はどんな反応をするだろうか。

点いたままになっていたストーブのおかげで、部屋の中は随分と暖かい。
それでも、背中にぴったりと触れている彼の素肌を、まだ手放したくなかった。
事が済んでからもずっと、絢耶は私の、髪や頬を撫でてくれていた。
疲労に脱力しながら感じるひとつひとつに、何か言葉にできない部分が癒されるような思いがした。


「……まだ降ってんな」

「…そうね」


天気予報は本当に大当たりで、結露した窓の向こうで雪が降っているのが見えた。
遠く見える屋根の白さからするに、大分積もっているのだろう。
その様子に考えたことは、私も彼も同じだったらしい。
後ろから聞こえた声に、振り向かないまま答えた。
声音は未だ半分眠っているようにも聞こえて、穏やかで柔らかだった。
今頃になって少し緊張してきたのは、自分が枕にしているのが彼の腕だと気付いたから。
ついでに言うなら毛布と羽根の布団の下、あいた反対の腕は腰のくびれに添えられ、手のひらがそっと腹部をさすっている。


「………んん?」


黙ったまま振り向くと、絢耶が言葉を促してきた。
顔を横に振りながら、背中に片腕を回してみる。
戻ってきた反応は、私と同じように背中を引き寄せる動きと、唇の片側だけを上げる笑み。
その笑い方は、あの頃の私が嫌ったものと同じで、でも全く違うもので。


「よく泣いたもんだ」

「誰のせいよ」

「さあな」

「……二度はないわよ」

「ん?」

「絵ができたからって、ヘンな気起こさないでってこと」

「ハ……馬鹿か」

「本気よ 今度やったらひっぱたいてやるんだから」

「…天邪鬼が」

「………」

「約束する……何処にもいかない」


腫れぼったい私の瞼には、中に熱がこもって火照っている。
絢耶はすまなかったと呟いて、右と左のそこに、順番に唇で触れた。
閉じた瞼に感じる絢耶の唇は、しっとりしていて少し冷たく、気持ちがよかった。
なのに私はまた泣きそうになって、慌てて背を向けた。
絢耶の腕はそのまま私を抱えていて、また手のひらがお腹を撫で始める。
いくら部屋が暖まっているとはいえ、真冬に裸でいるのはよろしくない。
しかしながら、こんな風に優しく慈しむような動きを遮ることなんて、できるはずもなく。


「寒くなりそうだな、今日も」

「…そうね」


曇った窓の向こうで、雪はしんしんと降り続けている。
時計を確認すれば、今は朝八時を少し過ぎたところ。
今のこの状態は、昨日の退社時には予想だにしなかった展開だ。
皆目見当もつかないのは、どんな一日を過ごそうかということ。
だって、とても心地いいのだ。
触れあっている、私よりも少し熱い絢耶の身体が。
落ちつけて、安らげて、また眠気を誘うほど。


「…いつまでいるの?」

「オマエさえよければ……雪が解けるまで」

「……そう …ならお願いしようかしら」

「うん?」

「お天気……雪がしばらくやまないように………!」


心の中で思っただけのつもりが、しっかり口に出していたと気付いたのは、この短い会話を終えた直後。
寝ぼけながら考え事をしたのがよくなかったらしい。
あとの祭りだというのに咄嗟に振り向いてしまったのは、それだけ気が動転していた証拠。
恥ずかしさと聞こえたかどうかを確かめたい気持ちが、私にちぐはぐな行動を取らせる。
もう一度絢耶の方に振り向いておきながら、照れに顔を背けるという、意味の分からない行動を。


「……俺も」


熱くなる頬を知覚しながら視界の端に、絢耶の顔を認めた。
目尻にしわを寄せて破顔する、甘くいとおしいあの表情を。




年の瀬~遅れてきたあなた 1~

世間はもう仕事納めの12月30日だが、働いている人間がいないかと言えばそうでもない。
かく言う私はこうして、閑散としたオフィスでキーボードを叩いている。
土日・祝日の休みにこだわるつもりはなかったが、今朝は起きるのが少しつらかった。
気持ちとは別の部分で、『年末年始は休暇』というサイクルが身体に馴染んでしまっているのかもしれない。
出来上がった書類を印刷し、シャチハタで押印したら、上司のデスクに持っていく。
『未決済』とタグのついたカゴの中、溜まった書類の、一番上に。
今日の仕事はこれでおしまい。
私にもようやく、年末がやってくる。
時計を確認すれば19時を回っていて、思わずひとつ、深呼吸をした。

ロッカールームで帰り支度をしながら考えたのは、この後のこと。
一応、年明けの4日までは休みになっている。
特に予定はないけれど、まずは買い物をしていこう。
明日、明後日はどの店も休みになるだろうから、家にこもっていられるように。


「……」


ふいに思い浮かんだ、あの男のこと。
自分で考えた『家にこもって』という状況に引きずられるように、一週間前のことを思い出した。
悔しくて悲しくて、でもそれを、どうしていいかわからなかった。
唇を噛みしめてしまった理由なんて、つきつめるつもりはない。

もういいのだ、私は。
もうなにも期待なんてしないから。
あの男に。



今私が住んでいる所は、もとはある男の自宅で、兼アトリエだった。
その男は私に対して、誰よりも辛辣だった。
当時の私のことを、決して認めてくれなかった。
あなぐらのように暗いのに、冷たくて鋭い光り方をする目は、いつも怖かった。
彼のことが嫌いだった。
私に、私の醜い部分を見せつけるから。
人に依存して生きていた自分の弱さや、生きる力のなさを思い知らされるから。
そのくせ彼は、私のことをいつも、少し離れた場所から見守っていたから。

私の頼みを聞いて、彼は私の絵を描いた。
心のこもった絵に、男の本心を感じて私は泣いた。
男はけれど、絵を残していなくなった。
住まいやアトリエを、私に譲って。

そのことがあってから、私は変わった。
変われるよう、自分なりに努力をした。
追い切れずに持て余していた、俳優になる夢を諦めた。
今ではたまに芝居を見に行ったり、劇団の小さな舞台に、趣味で参加する程度にとどめている。
仕事も、資格を取って就職活動をし、正社員として働きはじめた。

もしかして、彼が戻ってきてくれた時に、好意を持ってもらえるように。

思いのほか、その気持ちが、私の支えになっていた。
あの男が惹かれずにはいられないような女に生まれ変われたらいい。
一人で立って、ちゃんと生きられる強さがほしい。
そう思って、いろんな毎日をやりすごした。
仕事がうまくいかなくてつらい日も。
彼のことが思い出されて、どうしようもなくさびしい夜も。


悪戯な神様か誰かのおかげで、私と彼がまた出会ったのは今年の夏のこと。
色んな気持ちは気まずさにくるまれていたけれど、お互いそれを、見ないまま通り過ぎてしまうことができなかった。
何となく近況を話し合って、互いに相手を手探りするように、不器用に言葉を選んだ。
その後も何度か会って、秋には彼の今の住まいに連れて行ってもらえた。
嬉しい気持ちがあっても上手く伝えられない私は、週末にはお土産を買いこんでよく彼を訪ねた。
彼は特に喜ぶ様子もなかったけれど、半面で嫌がる様子も見せなかった。
その頃の私にとっては、それだけでも十分に満足だった。
絢耶と再び接点を持てたことと、絢耶といい関係を築きなおせるということが、当時の私の中ではほどんどイコールだったのだ。

そうじゃないと気付かされたのは、皮肉にもクリスマスが近づく頃。
恋人気分で浮かれていて、どんな風に過ごそうかと考えては、一人で照れているような状態の私をよそに、絢耶は絵を描いていた。
実はその絵は、私たちが再会してからずっと、彼が描いていたものだった。
何を描いているのか、勇気を出して聞いたことがある。
大したものじゃない、という答えを、その時の私は鵜呑みにした。
けれどそれ以降も、私が訪ねるといつも、絢耶は同じ絵を描いていた。
正確には、『同じスケッチブックに何かを描いていた』。
どうしても気になって見に行こうとすると、彼はすぐにそれを片付けてしまう。
かといって、質問しても具体的な答えなんて、あったためしがなくて。

そのうち、彼が絵を描く対象はスケッチブックからキャンバスに変わった。
どうも、今まで描いていたものは下書きというか、このための準備だったらしい。
彼が絵を描き続けてくれていたことが嬉しい反面、私はまた、あの頃と同じような心地を味わってもいた。
絢耶の真剣さを目の当たりにして、私は彼の新しい部屋で居場所をなくした。
こういう状態になった人に、私ができることはなにもない。
作品を納得できる形に仕上げる作業の、『終わり』を知っているのは本人だけ。
彼でない誰かはみんな、ここでは邪魔者にすぎないのだ。
実際、話しかけても聞こえていないようだったり、鬱陶しいという旨の返事が戻ってきたこともある。


何年たっても、私はあの頃のまま、うまく変われていないらしかった。
時間が経つうちに、絢耶のそばでも寂しさを感じるようになった。
少しずつ距離が縮まればいいって思っていたはずが、どんどん欲張りになっていた。
傍にいてもいいと思えるものがほしくなって、絢耶に必要とされたくなった。
絢耶のことがもっとちゃんと知りたくて、私の今のことも、もっと沢山知ってほしくなった。
そんな自分は……とても醜い気がした。


それでもと勇気を振り絞ったのが、先週の今日。
何かを確かめるような気持ちで、イブとクリスマスの日のこと―23日においては明日と明後日のこと―を聞いた。
絢耶は相も変わらず絵に没頭していて、質問の言葉を最後まで聞くことなく、会えない旨を私に伝えた。
大きな落胆とともに、それがすべてなのだと私は思った。
今の絢耶にとっての私は、話を最後まで聞く必要もない、そういう人間なのだと。



『…わかった、もういい』

『……あ?』

『……あんたの考えてることは、もうわかった
もう来ないし、あんたのこと追いかけないから
それじゃ』



自分が発した捨て台詞に、後悔しないでなんていられない。
それでも、悲しくて悔しくて、言わずにはいられなかった。
つらいことがあったとき、勝手に励みにしていた分、裏切られたような思いが膨らんだ。
考えてみれば当たり前なのに。
あれからもう五年も経っているのだ。
絢耶に誰か、懇意にしている人がいたっておかしくない。
過去の思い出に縋っているしかできなかったのは、弱くて醜い私だけ。

年末が近づいているのもおかまいなしに、私は仕事を詰め込んだ。
そうして帰りが遅くなれば、大切な人と楽しく過ごしている、名前も知らない誰かさんたちを、視界に入れないで済むような気がして。
ぎりぎりになって手間のかかる仕事が入った時にも、ほかの人を差し置いてひとり喜んだくらいだった。
あの部屋でひとりになれば、絶対に泣いてしまう。
それよりは、たとえ大変でも忙殺されているほうがまだましだった。


最寄駅にほど近いスーパーに、ぼんやりしながら入る。
年末セールで大賑わいの店内は、景気のいい音楽と一緒に、特価商品をすすめる女性の声がリピートしている。
一人暮らし用なのか、小さなお鏡餅やらしめ縄やらがワゴンに山積みになっていた。
こういうものを買ってもいいけれど、なんとなく、必要性を感じられない。
例えば家族と一緒に過ごすとか、そういう人ならあった方がいいのだろう。
手のこんだおせち料理を作って、年越しそばでもゆでたりして。

団らんに要るようなものは、今の自分には不似合いに思えた。
だからあえて、お正月らしいものは買わずにおいた。
試食して美味しかったみかんだけは、少しいい物を買った。

帰宅を少しでも引き延ばそう、なんて、考えたわけでもない。
なのに自然と、歩みは遅くなった。
天気予報によれば、今日から年明けにかけて、全国的にとても寒くなるとのこと。
そしてそれは大当たりで、北風は耳が痛くなるほど冷たい。
それでも、急いで帰ろうという気持ちが湧かなかった。
目印にしていたタバコ屋さんは、いつも常連さんと店番をしているおばあちゃんが話し込んでいるのだが、今日はもうシャッターが閉まっている。
年の瀬独特の雰囲気はどこからくるのだろう、なんて思っていながらも、脚は通いなれた道を覚えている。


「……ただい、ま」


鍵を開いた先、挨拶の言葉は真っ暗な空間に、存外に響いた。
この部屋は広い。
以前は大型のイーゼルやら何やら、油絵を描くのに必要なものが沢山あったのだから、当然と言えば当然のこと。
今の心境を鑑みるに、ドアを開けた瞬間に感じた寒々しさは、多分寒さのせいだけではないのだろう。

放っておくと溜息ばかり吐いてしまう自分に言い聞かせ、入浴の支度をする。
いつもより少し値の張る入浴剤をバスタブに放り込み、バスローブを準備して。
お湯の中に身体を沈めると、熱めに設定しておいたせいで、冷えた手足の先が少ししびれる。
慣れてくるととても気持ちがいい。
いい香りの蒸気が浴室内に満ちて、こわばりがほどけてくる。

ここといい、部屋といい、一人身の女が生活するには少しばかり贅沢な空間。
戻りたくなかった反面で、確実に癒されている自分がいる。
いいじゃないか、のんびりゆっくり、好きなことをして過ごせばいい。
ついでに買ったテレビガイドでも見て、面白そうな番組があるか確認してみよう。
疲れが溜まっているようなら、だらだらと寝て過ごすのもアリだ。

上がったら湯ざめしないよう、毛糸の靴下をはこう。
牛乳があったはずだから、ココアでも入れて寛ごう。
それから、それから……。



身体に沁みてゆく湯の温度に、だんだん思考がまとまらなくなっていった。
どこかで誰かに呼ばれたような気がするけれど、なんだかよくわからなかった。



肌にまとわりつくタオル地に、意識が戻りはじめたのはどれだけ時間が経ってからのことだろう。
目を覚ましたのはベッドの上で、私はバスローブを着て、お腹からつま先まで毛布をかけられていた。
しゅんしゅんと湯が音を立てるのはやかん。
使い方がわからずに埃をかぶっていたはずの石油ストーブに、何故かちゃんと火が入っていたのだ。


「………降ってきたぞ」


目を丸くしている私の耳に、聞きなれた声が響いてきた。





続く


12月25日、SILENTの朝

翌日のクリスマス当日は大雪で、布団から出るのがとっても大変だった。
それは私だけじゃなかったみたいで、私としのぶちゃんはお互いに、むぎゅっと身体を押し付けあってまどろんでいた。
目覚まし時計が鳴るより前に目が覚めるようになったのは、いつからなんだろう。
もうすぐ起きなくちゃいけない時間だってわかりながらも、私もしのぶちゃんも、寒くてお布団をめくることができなくて。


でも今日はクリスマス。
店内でのディナーは昨日までだけど、今日は予約のケーキを作っておかないといけない。
開店は11時。
思い切って勢いよく起き上がり、隣の人をたたき起こし、私は温かいお湯で顔を洗った。


「うーわ、すっごい!」


ところが窓の外は予想外の光景で、靴下を履きながら思わず叫んでしまった。
外は一面の銀世界。
ホワイト・クリスマスなんてメじゃないような真っ白な雪が、陽光にキラキラしていたのだった。


「道理で冷えるわけだ おい、店のドア頼むわ
この調子だと凍ってるかもな」


熱いコーヒーを飲み干したしのぶちゃんは、服を一枚多く着込んで早速厨房に入ってる。
私は言われたとおり、店のドアを確かめた。


「…あれ…あれ? ! あ、ほんとだ!」


鍵をはずして押してみるけど、ドアはうんともすんとも動かない。
店のドアは造りこそ重厚そうになっているけれど、手ごたえが強すぎないよう調節しておいたはずなのに。
どうもしのぶちゃんの懸念どおり、外の寒さと雪でドアは凍ってしまったらしい。
私はストーブにかけていたお湯をコンロで温めなおし、思いっきり沸騰させたものを持ってきた。
チンチン、と音がするほど熱くなっているやかんを右手に、左手に持つのは乾いたモップ。
やけどをしないように気をつけて、ドアと床の隙間に熱湯をかけていく。
解けた雪がまた凍っていたのだとしても、これで溶けるはず。
冷たくなった水はすぐにモップで拭く。
でないと、いくら熱いお湯をかけてもぬるくなるばかりだから。

様子を見ながらくりかえし、モップが絞る必要があるほどの水気を吸い取ったころ、ドアは無事に開いた。
もう一つ乾いたモップを持ってきて、水気を丁寧に拭いていく。
濡れたままにしておくとまた凍ってしまうかもしれないから、しっかりと。
ついでに店の外、ドア近辺の雪かきもやっておく。
しのぶちゃんが手伝うと言ってくれたけど、うちの味が出せるのはしのぶちゃんだけだ。
こんな単純作業に体力を使ってほしくない。
大丈夫だからと断ってスコップを借りると、ドアのところだけでしておいてくれれば後はやると言ってくれた。
私だってできると思ったんだけど、雪って案外重い。
お客さんが通る辺りはみんな綺麗にしておきたかったのに、結局、できたのはしのぶちゃんが言ってた入り口周りだけになってしまった。

というのも、気が付いて時計を見たら一時間以上経っていたのだ。
開店前の仕事はまだまだ沢山。
私はそれらを片付けるべく、雪かきも早々に急いで室内に戻ったのだった。



「………」



次に店の入り口を見たのは午前10時。
ガラス越しに、ウサギの耳がついた帽子が見えた。
誰かがうずくまっているらしい。
そこは店の駐車スペース。
慌てて行ってみると、そこにいたのは小さな女の子。
子供用の傘の先で、雪のキャンバスに何かを一生懸命に描いている。

ドアにはベルがついているから、開閉するとカラン、とけっこうな音がする。
それを気に留めることもなく、女の子は黙々と雪にお絵かき。
大胆な『筆致』で傘を動かすたびに、被った帽子のウサギ耳がピョコンと動く。


「……何描いてるの?」


話しかけたところで初めて、女の子は顔を上げた。
服装はピンクで統一され、子供服ながら高価そうなコートを着ている。
ウサギ関連といえば肩から斜めがけにしたポシェットもそうで、大きなにんじんのアップリケがついている。
瞳の色はとても不思議で、日の光と雪の白できらきら。
その子が私に向かって、深々とおじぎをした。


「……おはようございます」

「あ…お、おはようございます」


つられておじぎを返して頭を上げると、女の子はまたお絵かき。
仕方がないので、女の子の後ろに回って見てみることにした。
描かれていたのは大きな雪だるまと、それより少し小さな雪だるま。
女の子が描いているのは、その三つ目。


「……ね、聞いてもいい?」

「これはおまじないなのです
どうぞ、おしずかに」

「…そっか……でもここ、気になるんだけどなぁ」


どうにも聞きたくてたまらず、指差したのは大きな雪だるまの下半身。
脚の間に当たる部分が、そう……どうにも『もっこり』しているのだ。
こんな小さな女の子が描くものだもの、いかがわしい意味は無いと思うけど……。


「これこそ! おとこのしょうめい!…ノン!
これこそ! おとこのしょうめいなのです!」

「……」


思わず頭を抱える。
まさか予想通りだとは思わなかった。
よく見れば二番目の雪だるまは、上半身に二つのふくらみが。

……なるほど。


「お父さんと、お母さんなのね
じゃあこれはあなた?」


女の子は三番目の雪だるまに、長い髪の毛を描き足しているところ。
こっくん、と頷く動きに、ウサギ耳が従う。


「とけるまでにちゃんとかけたら、ねがいがかなうです
いそがなくては…ノン! いそがなくてはなのです」


そう言うなり、女の子はとても小さな雪だるまをもうひとつ描き始めた。
色味の統一された服装は親の趣味かと思ったけど、この様子だとこの子のこだわりなのかもしれない。
『おようふくはおなじいろにするのがいいです!』なんて、いかにも言いそう。


「兄弟がいるのね?」

「ぽぷちゃんは、おかあさんの、おなか、です!
いま、うま…れて、いるの、で………できたっ!!」

「……ぶっ!」


『ぽぷちゃん』……ちょっと人間の名前としては現実感がない気が…。
多分、この子は母親のお腹の中の赤ちゃんに、今のうちから名前をつけているのだろう。
勝手な想像を膨らませながら、私は女の子に話しかける。
女の子は答えつつ、傘を持つ手首をぐりっと回して歓声を上げた。
仕上げに描き足されたのは小さな『男の証明』。
ぽぷちゃんの性別は、そういうことらしい。
思わず噴き出してしまう。


だって、すっごく……かわいいじゃない。


「どうも、しつれいしました
このえはどうか、もちょっとけさないでください」

「ん、わかった」

「! ありがとう!…ノン!
ありがとうございます!!」

「ふふ……それより、あなたは一人なの?
誰か一緒じゃないのかな?」

「………」

「! もしかして、病院抜け出してきたんじゃない?」

「…………」

「おまじないがしたくて、一人で出てきちゃった?」


途端に黙って、下を向いてしまった女の子。
怖がらせないように尋ねれば、決まり悪そうにこっくりと頷く。


「! 大変! ご両親に連絡しないと!
あなた、お名前は? お父さんの電話番号、わかる?」

「だいじょうぶです! おてがみのこしてきたです
それにじーぴーえすも!…ノン!
じーぴーえすもあるです!」

「……」

「ぱぱとおやくそくしたです
おでんわはいつでももっていく
まいごになったらうごかない」

「………」

「ぱぱはじーぴーえすできてくれるです
だから、ここにいるです」


女の子は真っ赤な頬をして、赤いのは頬どころか耳もそう。
上手な絵を描くために手袋もはずしていたから、きっと手も冷たいだろう。
いくら陽が出てきたからって、外にこんなに小さな子を置いておくわけにはいかない。


「うん…そっか、わかった
それじゃあさ、よかったらお店に入らない?
ここじゃ寒いから、ね」

「……ノン」

「だめ? どうして?」

「しらないひとについていってはだめです
ままとおやくそくしたです」

「ふん、そうか……でもさ、私知らないひとじゃないと思うよ」

「?」

「だって、あなたのおまじない知ってるもの
何をお願いしたのか」


女の子がビックリした顔をする。
目を丸くして、両手で傘を握って。


「ぽぷちゃんが無事に生まれますように、ってお願いしたんじゃない?
ママと一緒に、元気に病院から帰ってきてくれますように、って」

「!!!」

「えらいね、さすがおねえちゃんだ
ママについてるパパの分も、一緒にお願いしたんだよね?」


女の子の目がみるみる潤んで、涙ができる。
ぽろぽろこぼれて、赤い頬を濡らして。


「ままは……ままはくるしいのです!
よる、おなかがいたいってぱぱにいって、ぱぱはびょういんにいくからおいでって…」


思わず、ウサギ耳の揺れる頭を撫でた。
女の子はしゃくりあげながらも話を続ける。
言葉を詰まらせ、ハナミズをすすりながら。


「ままは、ぶんべんしつからでてこな、ぐで…!
ぱぱ、あざまでずっど、ねで、なぐで…うう、うう~~っ…」

「……そうだったんだ」

「だがら…だがら、ざんだざんにおねがいじだ、でず!
ままと、ぽぶぢゃん、が…んぐ、んん~~ぅぅう……」

「……大丈夫、ママはちゃんと帰ってくるよ
ぽぷちゃん連れて、元気に病院退院するって」

「ひ…っ、ひっく……んく…んっ」

「ほらほら、もう泣かないで
パパが心配しちゃう
ぽぷちゃんとママのこともだけどさ、パパはきっとあなたのことも心配してると思うよ
どこに行ったんだろう、どこかでケガしてないか、って」

「ふん…すん……みかこはへいきです!
けがはないです!
おねぇちゃんになるです!」

「そうそう、もう涙拭いてね、元気出すんだよ
できる?」

「あい!」


ごしっ、と腕で両目を拭い、女の子は私に笑顔を見せた。
すっごく、やっぱりすっごくかわいい笑顔だった。


「………」


悲しい出来事の残骸が疼くのを、気がつきながらも無視していた。
ちょっとだけ、この子のお母さんが羨ましかった。
こんなにかわいい女の子を、こんな風にかわいく育てることができる女の人が、どこかにいる。
その人は今、二人目の子供の母親になるために頑張っている。


「サンタさんにお祈りしよう、ママ頑張れ、って ね?」

「あい!」


嬉しそうに微笑む女の子の、毛糸の帽子のウサギ耳が、また可愛らしく跳ねた。



―ミカ……! ミカコ…!



「! ぱぱです!!」


男の人の声が聞こえたと思った途端、女の子はパっと後ろを向いて駆け出した。
見えていたのは背の高い男性。
こちらに向かって…むしろ、自分に向かって駆け寄る女の子に向かって雪の中を走っている。
もがくように走っていた女の子も、途中で雪に足を掬われ転んでしまった。


「大丈夫!?」


それを見て私も、思わず女の子の後を追った。
その間に男性は女の子のすぐ傍まで来ていて、転んだ娘の手を引いて起こしている。
女の子が足下に抱きつくと、男性はしゃがみ込んで、自分の娘と目線を合わせた。
叱られているんじゃないかと心配が募る。
褒められたことではなくとも、頭ごなしに叱ったりしないで欲しい。


「すみません!!」


お節介でも一言言いたくて、私は雪に足をとられながら声を上げる。
女の子は私の方を一度向いてから、父親に向き直り何か話している。
父親の顔はまだ良く見えない。
息が上がる割に、雪道は歩きにくいばかりで先に勧めない。

見ている間に、男性は自分の小さな娘を抱き上げて立ち上がった。
両脇に腕を差し入れて持ち上げた後は、脇のくぼみで支えるように、ぐいっと女の子を片腕で。
いつもそうやって抱っこされているのだろう、女の子は慣れた様子で、父親の方にしがみついて。


「……!!」


二人してこちらを見つめる親子の顔は、今は同じくらいの高さにある。
こうやって見るとよく似ている。
顔かたちは勿論のこと、全体的な雰囲気みたいなものも。
でも、私が歩みを止めるほど驚いたのはそのせいじゃない。

だって。
うそ。
うそだぁ…!




「似てるだろ?」




私の心を見透かしたように、その人は私に話しかける。
よく知っている声だ。
本当に、とても。


「自慢の娘だ、俺らのな」


何だか、いろんな事がよくわからない。
納得できる気もするし、どこか不思議でもあるのだ。
何かが曖昧で、でも大事なものがとてもクリアで。


「心配すんな、なんも」


具体的な何かは何もないのに、その人の言葉にはとても力があった。
心の奥が震わされて、私は何故だか泣きたくなって。
しのぶちゃんに会いたくなった。
お店の奥にいるはずの、私の大事な人に。


お父さんに抱っこされている女の子が、私に向かって手を振った。
ニコニコして、嬉しそうに。
私も目一杯に、手を振りかえした。
かなしいことなんてなんにもない。
女の子が私に、勇気をくれた。




―……な…おい、ヒナ……。




遠く聞こえる声の正体は、もうわかってる。
もう私には、全部のことの意味がわかっていた。
タネあかしがされても、残念に思うことなんて何にもない。
嬉しい気持ちを、私はそのまま持ち帰った。





「………」


起床後最初に目に入ったのは、寝室の天井。
右の肩のあたりがあったかいのは、横を向いて寝ているしのぶちゃんの息がかかっているから。
そう。
12月25日のSILENTはお休みだ。
うちのケーキの予約は24日だけ。
だから昨日、あんなにお客さんが多かったのだ。


「…大丈夫か?」

「…うん……?」


半分眠っているような頭で、よく意味がわからないでいると、しのぶちゃんが私の目尻を撫でた。
小さな冷たさを感じたところからするに、眠りながら泣いていたらしい。


「大丈夫……すっごいいい夢みちゃった」

「へえ…?」

「なんかね…すごい元気出た」

「ん……可愛かったよな」

「うん、ほんと……………!?」


的を射すぎた感のある言葉に、驚いてしのぶちゃんの顔を見る。
不敵で過ぎるほどにふてぶてしいその笑みを、昨日今日の間で何度も見たような気がする。
昨日寝る前、今、それから……。


「安心しろ、元気な男の子だったぜ?」

「……『ぽぷちゃん』?」

「案外お前もタフなもんだ、何だかんだあっても、な?」


そうでなければ知りえないはずの言葉に、しのぶちゃんはしっかりと頷いた。
続く台詞に、あの女の子の願いがちゃんと叶うってことを知らされる。
胸の中がみるみるいっぱいになった。
嬉しさと楽しさと、小さい頃に感じていたクリスマスの不思議が、全部いっしょくたになってやってきたみたいに。


「ね、ね、いつ会えるかなあ!?」

「さあな……でも、未来ってな遠いようで近いもんだ」

「うん………あ、ねぇ、約束して」

「ん?」

「あの子がいなくなっても、怒らないであげて
おまじないしてただけなの
みんなのかわりに、赤ちゃんが無事に生まれますようにって、サンタさんにお願いしてくれてたのよ」

「…わかった」

「…ありがと」


自然と、寝そべったまま私としのぶちゃんは抱き合っていた。
昨日の夜とは全然違う気持ちで。
緊張なんてしなかった。
お腹の奥に溜まっていた寂しさとか、暗い気持ちの全部が、朝の光と一緒に希望に変わっていた。

確かに、私としのぶちゃんが見たのはただの夢かもしれない。
偶然にも、同じような夢を二人が同時に見たというだけの、クリスマスの小さな不思議にすぎないのかもしれない。
でも私にはなぜか、この夢がそれだけで終わるようなものじゃないっていう自信があった。
しかもそう思っているのは、『偶然にも』私だけじゃないわけで。

突然の悲劇に襲われることもあるのが現実ならば、ありえない偶然がいくつも重なって、時に不思議で素敵な出来事を生むのもまた現実だ。
未来への道はもう始まっている。
私はできるなら、また会うその時に、とてもかわいいあの子に大好きになってもらえるようになりたい。
あの子が一生懸命に幸運を願ってくれるような、そんなお母さんになれるように。

少しひげのはえたしのぶちゃんの、ざらつく頬にすり寄りながら私は笑った。
嬉しい余韻がまだ消えない。
こんなに素敵なクリスマスの朝が、大人になっても来るなんて思わなかった。


「ねぇ」

「ん?」

「サンタクロース…やっぱいるよね?」

「言ってなかったか? 実は俺様のダチにはだな……」

「! わ、きゃー! あはっ、あははは……!
ちょ、ダメだって! 今日も忙しくなるんでしょ!」

「あぁ?」

「ん、もう! 昨日の夜言ってたでしょ
明日も忙しくなるから良く寝ろって」

「ハッハッハー……
お前よぉ、何のために今日を休みにしたと思ってる? あぁん?」

「! へっ、うそ! やんっ、あは、はは……やだも、えっちぃ!」


ふざけながら覆い被さってくる大好きな人を、私はぎゅっと抱きとめた。



「…また、会えるよね……絶対」

「まかしとけ…絶対会わせてやる」

「……うん」



駐車場にできあがった雪のキャンバス、あの『もっこり』な雪だるまたちの絵を見つけるのは、あとほんのちょっとだけ未来のお話。

12月24日、8時46分のSILENT

―カランカラン…



「いらっしゃいませー」

「こんばんはー、予約したケーキ取りに来ましたー」

「はい、いつもありがとうございます!」

「わ、サンタさんじゃない かわいいねぇ」

「あ、はは…ありがとうございます
只今ケーキお持ちしますね」

「はーい」


お客様から引換券を受け取り、私は裏にまわる。
保存用の大型冷蔵庫は予約のケーキで一杯で、その中から取り出すのはチョコレートケーキ。
カカオの苦味をきかせてしっとり焼き上げたチョコケーキの中には、砂糖漬けしたオレンジピールが入っている。
それを甘めのミルクチョコでコーティングしたうちの人気商品を、このお客様は三年連続で買ってくれている。

クリスマスの特別メニューをやりはじめたのは、実はこのお客様がきっかけだ。
ここで出されるものはどれも美味しいから、いつかコース料理でもやってみてくれないか、って。
それにアイデアをもらって、試験的にやることにしたのが今年だった。
初めての試みだし、しのぶちゃんにも大変な思いをさせてしまったけど、何とかうまくいったんじゃないかと思う。


耀さんの足首の痛みは、蒸しタオルであたためたらかなり和らいだらしい。
少し休憩した後、またフロアに戻ってくれた。
私の役目はおしまいかと思ったら、予約のケーキを取りに来るお客様が増えてきて。
それで、会計係ということでラストオーダーまで出ていられることになった。
ディナーの予約をしてくれたお客様は、ケーキを食べ終わってからもしばらくお酒を楽しんでくれた。
ついさっき、にこやかに会計を済ませて帰っていった。
お連れ様だという落ち着いた雰囲気の女性は、お店がとても素敵だと喜んでくれていた。


どれもとても美味しかった。
いいイブになってよかった。
二人はにこにこしながら、そう言ってくれた。


ひとの笑顔が見られることは嬉しい。
ひとに喜んでもらえるような仕事がしたい。
最近の私が、すごく強く考えていたことだ。
美味しいものや素敵な場所には、ハッピーな何かを生み出す力がある。
うちのお店に来てくれる人には、寛ぎだったり、ちょっとしたいいことだったり、とにかく、少しでも『いい気分』になってもらいたいのだ。
一人の社会人として私はそんな仕事がしたいし、そのための努力は惜しみたくない。

そう思って、頑張っていたはずだった。
ただ、それだけだった。



「お待たせいたしました、こちらのケーキでよろしいですか?」

「そうそう、これこれ
ボク大好きなんだよね」

「いつもありがとうございます、お店にもよく来ていただいて」

「んー、最近ちょっとご無沙汰だけどねぇ」

「あ…お仕事、お忙しいんですか?」

「んん……仕事っちゃ仕事かなぁ、子育ても」


からっぽの下腹部が、つきん、となる気がした。
一瞬、言葉に詰まってしまった。


「あ、お子さんがいらっしゃるんですね」

「うん、親になるって大変なもんだなぁ、って、最近しみじみだよ
ありがたいんだけどね」

「大変ですね」

「ん、でもいいんだ
今年で一歳になるんだけどね、ほんと、誕生日には泣いちゃったよ
うち何年も子供できなかったし、うまくいかなかったこともあったから」


沈痛そうに言葉を濁したお客様の顔に、意味するものがなにか、はっきりわかった。
きっと、この人も子供をとても望んでいたのだろう。
過去のことを思い出した一瞬に、表情にひどく暗い影がさした。


「奥さんが辛そうでさ、見てられなかった
ダンナのくせに何も出来ないのも、情けなくてね
だから、今はほんとにありがたいよ」

「…男の人も」

「うん?」

「男の人でも…悲しく思ってくれるんですね」

「そりゃそうさ
大事な奥さんが傷ついたり、生まれてたかもしれない自分の子供とさよならしなきゃいけないのは悲しいよ」


いつになく真剣な顔で、お客様は私に言う。


「女の人はね、やっぱり男じゃ想像も出来ないくらい辛いと思う
お腹の中に、命を育てていたんだからね
でも、男には男の辛さってあってさ
大事にしてる人が打ちのめされて悲しんでる時に、何も出来ないのは堪えるんだ
何のために傍にいるのか、わかんなくなるくらいにね」


頭を過るのは、裏に回った時に見た彼のこと。
忙しく厨房の中を歩き回って働いていた、しのぶちゃん。
美味しいものが人にハッピーを与えられるって、私に教えてくれた人。

あのことがあってから、私たちは少しぎこちなくなっている。
私自身が自分の中の『真っ黒』に飲まれそうになっていることはもちろんだけど、理由はもうひとつあるのだ。


それは、しのぶちゃんに申し訳ない、っていう気持ち。
せっかく授かった命を、ちゃんと育てられなかったこと。
倒れた姿を見せたことで、しのぶちゃんに、要らない恐怖を味わわせてしまったこと。


だからどうしても、これ以上しのぶちゃんに迷惑をかけたくないのだ。
気を遣ってもらうのは悪すぎるし、心配かけたくない。
私は一人前でいたいのだ。
一人前に、自分にかかってくる苦しさや悲しさを、ちゃんと片付けられる人間でいたい。
そう思っているのに、私は思うほどに空回りしている。
昨日の夜だってそうだ。
立ち直りたいと思う私と、私を心配してくれるしのぶちゃんがうまくかみ合わなかった。
嫌いじゃないのにけんかになった。
争うのなんか、大嫌いなのに。


「確信はないけど…
多分、男ってのは自分が無力だって思い知らされるのが、一番キツいんじゃないかな
誰かの役に立ちたいとか、そんな大それたのじゃなくてね
でも、少なくとも自分が大切に想う人の力になりたいとは、思ってるはずだよ
自分が選んだ奥さんのことなら、尚更」


どこかかたくなになりかけていた私の心には、何故か、お客様の言葉がひどく沁みた。
ケーキを箱に入れ、リボンをかけながら、小さく頷いていた。


「お客様は…」

「うん?」

「お客様は、どうやって奥様を慰めてさしあげたんですか?」

「んー………毎晩一緒に寝た」


とっさに顔を上げてしまう。
お客様を見つめて、面食らって瞼をパチパチ。


「? ! あ、あ、えっとね…はは、そうじゃなくて
寝るときに、一緒にお布団入って、お話をするわけ
今日はどんな一日だったか、とか、どんなこと考えたか、とか
話しなくなるのが、一番よくないからね」

「…なるほど、寝ながらお話」

「そ、で、話し終わったら一緒に眠るんだ
手を繋いだり、寒いとちょっとひっついたりしてね
そうして毎晩やってるうちに、お互い、つらいことがつらい、って言えるようになった
つらすぎると、言葉に出すこともできないでしょう?
それを相手に言えるようになるよう、知らずに練習してたんだね」

「……」

「子供のことなら、奥さんひとりの問題じゃないよ
つらければつらいって、旦那さんを頼ったらいい
あの人そういうときに頼れる相手だと思ったけど、違うの?」


お客様と目線を合わせながら、自分が赤面していくのがわかった。
かぁ、っと、頬が熱くなったから。
思い返せばあの言い方じゃ、世間話の範囲を超えている。
いつからお客様に、それとなく悩みをほのめかすような口ぶりで話していたのかと考えたら、ひどく恥ずかしくなった。


「がんばれ、ちょっとつらいだろうけど
旦那さんはきっとさ、あなたが自分に助けを求めて手を伸ばすの、きっと待ってるよ」

「………ハイ」


優しい眼差しのお客様の瞳は青くて、でも、しのぶちゃんとも耀さんとも違う色味。
この人と奥様と、小さなお子様の団らんに、少しでも貢献できることを願いながら、私はケーキを手渡した。



その夜、私はさっそく、もらったアドバイスを実行することにした。
大きいベッドで一緒に寝るのはいつものこと。
だけど、お互い最近、なんとなく距離をはかりかねているようなギクシャク感があった。
だから私は、思い切ってお布団の中、しのぶちゃんに抱きついてみた。
いつも当たり前にしていたことなのに、なぜかとても勇気が要った。
ひどく胸がドキドキした。
不快なドキドキだ。
不安な時とか、心配な時とおんなじだから。


「…どうした?」


でもそれは杞憂で、ぎゅっと目を閉じて反応を待ってた私を、しのぶちゃんはいつも通り抱き返してくれた。
ほっとして、詰めていた息を一気に吐き出す。
ついでにしのぶちゃんの胸の辺りに顔を埋めた。
服越しの肌が、少し私よりあったかい。


「…具合、どうだ?」


私の背中をなんとなくさすりながら、しのぶちゃんは聞いてきた。
小さくへいき、と答えると、ちょっとだけ身体を離して顔を覗き込んでくる。
電気はもうサイドボードのスタンドだけだから、はっきり見えるわけじゃない。
それでも、大好きなアイスブルーの目に気遣わしさが浮かぶのはちゃんとわかった。
心配をかけてると思うとすごくつらいけど、心配するなって言うほうが無理だ。
それで本当にお互いを心配しあわなくなるほど、私としのぶちゃんの関わりは浅くないもの。

思っていることを、そのまま、素直に。
それは、なんて難しいんだろう。


「………あかちゃん、ごめんね」


何も言わないまま、しのぶちゃんは私の頬を撫でた。
その感触が優しくて、涙が出た。
もう泣かないって決めたのに、止められなくて。


「お前のせいじゃない」

「うん……」

「縁があれば、また来てくれるさ
焦らなくても、時間はある」

「うん……」

「どうしても欲しければ、方法だってある
いい医者見つけて、相談だってできるから」


横向きに寝そべったベッドで、涙は鼻梁を横切って流れていく。
大きくて指の長いしのぶちゃんの手が、それを何度も拭ってくれる。
あの悲しさが戻ってきているのに、今は同じくらいの安心があった。
悲しい、つらい、って吐き出しても、大丈夫なんだってことを、しのぶちゃんが伝えてくれるから。

瞼を下げたのを合図に、しのぶちゃんはもう一度私を引き寄せた。
額に、よく馴染んだ感触のものが押し付けられる。
私は子供に戻ったような気持ちで、キスをくれた人にきつくしがみついた。
今しのぶちゃんがくれようとしている『元気』を全部、目一杯受け止めるために。


「良く眠れ、明日も忙しくなるからな」


驚いて顔を上げる私に、にやっとしのぶちゃんは笑ってくれた。
不敵で不遜で、心細さなんて全然見せない、カッコイイあの顔で。





続く

12月24日、SILENTの夜

「7番さん、そろそろケーキお願いね」

「ん」

「飲み物どうする? メニュー持ってく方がいいかな」

「……お前に任す、合いそうなの頼む」

「ん、じゃオーナーのオゴリってことで、好きなもの聞いてくるわ」


コツコツと小気味いい音を響かせ、ウェイトレスはフロアを歩く。
コスチュームは期間限定仕様。
白いボンボンが揺れる三角帽子は真っ赤なベルベット製。
腿まるだしのミニスカートにはさりげなくファーがあしらわれ、贅沢さを演出している。
その下から伸びるしなやかなラインを包むは黒いあみタイツ。
足首から膝下までぴっちりと編み上げられた革のブーツはミスマッチなようだが、見ようによってはこれが絶妙。
チョコレートソースを皿に散らしてケーキを乗せながら、俺は小さくため息をつく。


「……えへ、可愛いって褒められちゃった☆
飲み物、さっきのシャンペンお願いね」

「ん、…7番のケーキな」

「はぁい………ちょっと、何よそのカオ」

「何が」

「『何でオマエが着てるんだ』って書いてあるんですけど」

「……わかっててやってるってか」

「アハァん♪」

「……」


トレイにケーキを受け取り客席に向かうのは、正真正銘の俺の『兄貴』。
完璧な脚線美といい完全な化粧といい、どこからどう見ても超絶美女なビジュアルだから恐ろしい。
しかしミニスカサンタコスでキメこんだヤツのスカートの下には、確実に、決して淑女にはないご立派なブツが隠れているわけで。
何よりも忌むべきは、スッピンになったヤツの顔は俺と相似形をなしているという事実。


本当にカンベンして欲しい話だが、俺からヒゲその他無駄な体毛を除去して女装・化粧を施すと………いや、そこまで言う必要はねぇな。


苦々しく思っているところに、給仕を済ませた耀が戻ってくる。
どうやら俺の目線、ヘンなところに向いてたらしい。


「あん、ヘンなとこ見ないの
大丈夫よ、今日は下着もカワイイのにしてるから」

「…逆に余計アブナいだろうが
よくアイツが黙ってるもんだ」

「すっごく喜んでくれたよ?」


耀の振り向く先では、トナカイの着ぐるみに赤い付け鼻でキメた真耶。
このクリスマスは去年と趣向を変えようということで、前々から話が決まっていた。
店内では完全予約制でディナーを出す。
テイクアウトのクリスマスケーキも、同じく予約制。
真耶は家族連れの客をもてなし、小さな子供の話相手をしているらしい。
一緒に『赤鼻のトナカイ』を歌う顔の無邪気さがかわいいと、耀の眦は緩みっぱなし。

兄夫婦のマイナーすぎる趣味には、前々から付き合いきれないと思っていた。
とは言え、この繁忙期をこうして手伝いに来てくれたことはありがたい。
貴重な戦力が使えない今は、なおのこと。


「……ヒナちゃん、どうしてる?」


こっちの心の中を見透かしたように、耀は真耶を見つめたまま聞いてきた。
答えるにも勇気が要って、無意識のうちにため息をついてしまう。


「もう大丈夫だ、今日も働くってきかなくてな」

「…そ 元気なのね?」

「……本人曰く、だがな」

「ん……気を落とさないでって、よかったら伝えて」

「…悪い、迷惑かけて」

「いいから、あんたがそんな顔しないの
客商売なんだから、プロらしくおやり
せっかくのクリスマス・イブよ?」

「…わかってる」


耀から背けた視線の先には、ディナーに舌鼓を打って談笑するカップルがいる。
予約があったのは一月前。
やって来たのは男の方で、連れが喜ぶようなものがいいからって、メニューを大分相談した。
営業の仕事をしているというその客は、言葉の選び方からしていかにもデキそうだった。
容姿も整っていて清潔感があり、来店の際に窓から見えた、北風に髪を舞わせて歩く姿はまさしく現代の王子様。

女に困ることなんてまずなさそうな彼が、特別な夜に特別に気合を入れてもてなしたいのはどんな人物か。
それを気にしていたのはヒナコだ。
俺には『必要以上』に見えるほど、あいつは親身になってメニューの打ち合わせをしていた。
それとなく探りを入れたところによると、王子は未だ、相手に片思い中なのだとか。
『あれは絶対本命さんだよ!』とヒナコは力説し、うちのコースで二人の仲を取り持つのだと張り切っていて。

予約に少し遅れた19時2分、はにかみをにじませながら彼が連れて来たのは、涼やかな印象の女性だった。
あまり感情の見えないその人物は今、ゆっくりとケーキを食べながらたまに相手と目線を合わせ、ほんのりと口角を上げている。
睦まじい様子からするに、綿密な打ち合わせは理想的な形で実を結んでくれたらしい。
アイツにこの光景を見せてやりたかったと、本当に思う。
楽しそうな二人の様子もそうだし、こんな風に客に喜ばれる商売のやりがいを教えてくれたことについても、アイツに感謝したかった。
生計を立てることに命を削るような真似をしてほしくない、というのも、本音だけれど。


「………」



前々からワーカホリック気味だったアイツは数日前、突然下腹部を押さえて倒れた。
流産だった。
妊娠はやっと9週目に入ったところで、医者に教えられるまで俺は知らなかった。
聞けばヒナコは生理の遅れに気付いており、市販の妊娠検査器を買いに行こうと考えていた矢先の事だったらしい。



今日のヒナコを強引に休ませたのは俺だ。
アイツは心配ないと言い張り、一日でも早く仕事に戻ると言ってきかなかった。
あからさまな虚勢が痛々しく、俺らは珍しくケンカになった。
引けなかった理由は、どうしても、アイツに大事を取って欲しかったから。


頭に焼き付いているのは、痛みに汗をにじませながら床に崩れたヒナコの姿。
脚の間から血を流して倒れている姿に背筋の凍った、あの瞬間の感覚が今も消えない。


それに俺は、アイツが今回のことにかなりショックを受けていることも知っている。
早い段階で流産してしまうことはよくあることだと言いながらも、子供好きのアイツのこと、きっと考えているに違いないのだ。
ここで流れなければ、その子は一体どうなっていたのだろうとか。
育っていたら男の子と女の子、どっちだったのだろう、とか。
あるいは、一人で不安を感じているのかもしれない。
流産は繰り返してしまう場合もあるという。
これから先、自分はちゃんと新しい命を育てることが出来るだろうかと、病院から戻った夜にヒナコは泣いた。
その悩みからほんの数日で立ち直れるとは、俺にはどうしても思えない。

ヒナコから相談を受けていた真耶と、真耶経由でヒナコのことを聞いた耀は、それ以上に詮索することもなく手伝いを申し出てくれた。
経緯はさておき、二人は案外接客サービスの仕事を愉しんでくれている様子でありがたい。
せっかくのクリスマスにこんなことをさせるのは気が引けたが、店の雰囲気がおかしなことにならずに済んだのは二人のおかげだ。
小柄な真耶があんな風にトナカイの着ぐるみをまとうと、耀でなくとも可愛らしさに口元が緩む。
あいつはヒナコの用意したミニスカサンタコスをするものだと思っていたから、耀があの格好で現れたときには驚いた。
よく同じサイズが着れたものだと。
ニヤニヤしながらの『自前でぇす☆』との返答に、鼻から笑いが抜けた。
まったく、ホントは何に使うつもりで用意したんだか。


「…いてて」


耀が片脚をかばうようにして戻ってきたのは、あらかたのコースが終わり、来客も途切れた頃。


「どうした、コケたか?」

「ううん、そうじゃなくてね…」

「4番さん、お会計でーす…耀、どうしたの?」


ちょうど良くこちらに戻ってきた真耶も、会話に加わった。
珍しく、耀が『しまった』とでもいうような表情を見せる。


「うん…」

「! もしかして!
また右足首痛くなってきたんでしょ」

「大丈夫よ、ラストオーダーくらいまではもつわ」

「なんだ、右足痛めてたのか?」

「違うわよ」

「あのね、耀って小さい頃によく右足首捻って痛めてたんだって
それで、古傷っていうんじゃないけど、寒い日に負担がかかると痛くなってくるらしいの」

「真耶!」

「なるほど……そのキンキーブーツで立ち仕事じゃぁムリがあるわな」

「だぁって! コレ(ミニスカサンタ)には絶対このブーツが一番なのよ!」


思案する間もなく、耀は問題ないと言い張る。
ちょっとだけでいいから休ませてと言って引き下がらないのは真耶。
耀の痛みに耐えている顔つきは辛そうで、俺としてもムリをしてはもらいたくない。


「あたしが出るよ」


その時、裏のドアが開いて声がした。
振り返らずとも誰かはすぐにわかる。
姿を現したヒナコは、既にコスチュームを着込んでいた。


「ヒナ! 今日は休んでろって言っただろ!」

「ラストオーダーあと二時間でしょ?
ムリはしない」

「でも…」

「あのお客さん、もうすぐ帰っちゃう頃じゃないの?
ちょっとだけご挨拶したいの いいでしょ?」


強い視線で見つめられ、判断に迷う俺はとっさに俯く。
ヒナコの意志は、言い争いになった昨夜にも増して強そうだった。
気持ちはわからなくはない。
ただ…。


「あいた、いたた…
悪い、やっぱりちょっと休憩していい?
足結構キツいわ」

「あたしも、ちょこっとだけ抜けさせて
足首、少しあっためると良くなると思うんだ
手当てしたらすぐ戻るから、ダメかな?」


俺を差し置いて、二人の間でどうも話はついている模様。
耀は今や真耶に肩を借りている状態。
ごまかしたつもりでも、ちゃっかりヒナコにウインクしたのは見逃さなかった。


「………絶対ムリすんじゃねぇぞ」


搾り出した言葉は決して潔いものではなかったが、それが精一杯。
それでも意図は伝わったらしく、アイツはもう一度大丈夫と繰り返して、俺に笑って見せた。






続く


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